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クリスマスはどのように過ごしていた?~日本のクリスマスの歴史~

今では恋人たちのイベントという
意味合いが大きい日本のクリスマス。

しかしその歴史は意外にも古くからあり、
日本最初のクリスマスが祝われたのは
戦国時代だともいわれています。

今日はそんな日本のクリスマスを
深掘りしてお伝えしていきたいと思います。

日本で祝われた最初のクリスマス

日本にキリスト教が伝来したのは1549年で、
3年後の1552年には日本で最初のクリスマスミサが
行われ、クリスマスが祝われているようです。

その年のクリスマスには山口で布教活動をしていた
イエズス会のコメス・デ・トーレスらが
現地の司祭館に日本人の信者を招いての
クリスマスのお祝いをした という
記録が残っています。

そして1560年に大分県に移ったトーレスは
クリスマスの劇を披露しています。

しかし増え続けるキリシタンに幕府は
反乱を恐れて1612年から禁教令を出したのです。

それでも潜伏キリシタンたちは秘密裏に
クリスマスのミサを行っていたようで、
長崎の出島でもオランダ人たちは

『阿蘭陀正月』(おらんだしょうがつ)という名の
クリスマスのお祝いをしていました。

開国された後のクリスマス

日本国内では表面上クリスマスのお祝いを
することは禁止され、
それは200年ほど続きました。

しかし開国するとともに日本のクリスマスも
また復活をとげることのなるのです。

最初のうちは日本に赴任してきた外国人の
間だけで祝われていました。

1860年にプロイセン公使のオイレンブルク伯爵が
港区にある芝赤羽の宿舎で各国の公使を
招いてクリスマスパーティーを開催した
と記されています。

その際宿舎の柱に杉の葉を巻き、
ちょうちんや砂糖菓子を飾った
日本最初のクリスマスツリーが登場しました。

日本人が初めて行ったクリスマスは
キリスト教禁制がとかれた次の都市の1874年(明治7年)で、
東京第一長老教会で洗礼を受けた

原女学校(女子学院の前身のひとつ)の創設者である
原胤昭(はらたねあき)が感謝の意として
宣教師のカロゾルスの指導のもとクリスマス会を
執り行ったそうです。

しかし、まだあまりクリスマスの文化も浸透してなかったので
何から何まで手探りの状態で準備がされたため、
十字架を天井からぶら下げる際に

ミカンで飾りつけをしたりときわめて特殊な
独自のスタイルで行われたとのことです。

ちなみにミカンの十字架は
下見に来たアメリカの公使館員により、
撤去させられてしまったそうです。

日本で最初のサンタクロースも
このクリスマス会で登場したのですが
裃(かみしも)に大小の刀を帯刀し、
ちょんまげのカツラをつけた
殿様のようなサンタクロースだったとか。

戦前の頃のクリスマス

クリスマスが一般に広まったのは1880年代の頃に
ジュンク堂の丸善がクリスマス用品を輸入した頃から
だと言われています。

日本の西洋化にともなって、19世紀が終わるころには
クリスマスは日本でも重要な年中行事のひとつとして
キリスト教徒以外の人々にも受け入れられたのです。

教会ではクリスマスがキリスト教と関係のない
ただのお祭りになってしまったと嘆く声がありました。

また正岡子規が冬の季語として
初めて『クリスマス』を使用したのもこの頃のことです。

大正デモクラシーの時代には
ダンスホールでダンスパーティーや
クリスマスパーティーが開催され、

デパートも店内をクリスマスのディスプレイにして
購買意欲をかきたてたのです。

そして日本が軍国主義になり、
1937年(昭和12年)に日中戦争に突入すると
クリスマスは一気に自粛モードとなりました。

それから第二次世界大戦が勃発し、
アメリカやイギリスとも戦争をすることになると、
キリスト教自体が国家の監視下に置かれることになりました。

すでにキリスト教だけのお祭りではなくなったクリスマスも
舶来の習慣ということで規制を受けます。

そしてそれは戦後まで続くことになったのです。

戦後息を吹き返したクリスマス

戦後になるとまたクリスマスは再び祝われるようになります。

しかし敗戦国の日本は庶民が食べるのに必死で、
クリスマスはGHQの将兵や一部の恵まれた人たちだけの
文化でしかありませんでした。

1948年のクリスマスイブと翌年のクリスマスには
戦犯の数十名が釈放されたり
減刑されたりの特赦が出たりする程度のものでした。

1951年に神戸でクリスマス雑貨を扱う業者の
組合が結成されましたが、
庶民はまだまだクリスマスを祝うほどの
余裕はなく、輸出がメインだったようです。

日本製のクリスマスオーナメントは海外で人気となり、
日本に貴重な外貨をもたらしたのでした。

現在でも日本で作られるクリスマス雑貨の
半分以上が神戸で制作されているとのことです。

日本経済が復興を遂げ始め、
庶民の生活にも少しずつですがゆとりができた頃の
1960年代になると家族でクリスマスを祝うようになり、

クリスマスイブの夜には家庭で
チキンやケーキを食べるようになりました。

そして現代私たちのよく知るクリスマスへと
ゆっくり移り変わっていったのです。

まとめ

思っていたより古くから日本には
クリスマスが伝わっていたのですね。

しかし禁教令や鎖国によって、
クリスマスは200年以上もの間
失われてしまった文化になってしまいました。

それを取り戻したのは鎖国を解いた後のことです。

一度失われた文化を取り戻すのは
大変だったようで、情報の少ない中
探り探りの状態でクリスマスを復活させたのが
原胤昭という人物でした。

そしてそこには日本初のサンタクロースの
姿もあったようです。

時代は流れ戦前へ。

丸善がクリスマス雑貨を輸入したことを
皮切りに、西洋化していく日本は
ダンスパーティーやクリスマスパーティーを行い、

デパートのディスプレイなどを
クリスマス専用にして庶民の購買意欲を掻き立てます。

しかし戦争によってまたクリスマスを祝う文化は
下火になってしまうのです。

庶民がクリスマスを再び祝えるようになったのは
1950年から1960年代になってから。

そのころになるとようやく家庭でも
クリスマスをみんなでお祝いできるようになり、
現在の様にチキンやケーキが食卓に登場するようになりました。

このように日本のクリスマスを祝う文化は
盛り上がっては衰退し、また盛り上がっては自粛、
と波のような曲線を描いていますね。

それでもクリスマスを祝う文化が
消えてなくならないのは、
私たちの生活に根強く浸透しているからだと思います。

またいつの時代のどこかでクリスマスの文化が
自粛ムードになることもあるかもしれませんが、
必ずいつかはまた盛り上がると信じずにはいられませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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