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クリスマスはどうしてできたの?~クリスマス誕生秘話~

クリスマスというと、
名実ともにキリスト教最大の
イベントという認識ですよね。

しかし、キリスト教ができたばかりの
当時はイエスキリストの誕生日を
祝うという習慣はなかったのです。

それではクリスマスはどのようにして
誕生したのでしょう。

今日のブログはクリスマスの誕生を
紐解いていきたいと思います。

三世紀より前はクリスマスよりもイースター

教会がまだできた当時の初代教会では
イエスの誕生日ではなく、
イエスの復活祭(イースター)のほうが
重要だと思われていたので、
イースターを古くからお祝いしていたようです。

そして三世紀に入ると、
やっと神の子であるイエスが
地上に降り立ったことも

重要な人々の救済の出来事と思われるようになり、
これを祝うためにはっきりと分からない
イエスの誕生日を明確にする必要が
でてきたのです。

イエスの復活が『イエスの死から3日後の日曜日』、
つまりユダヤ教の春祭りである
過越の祭り(すぎこしのまつり)が明けた
日曜日と聖書に書かれているのに対して、

イエスが何月何日に誕生したかは
どこにも明記されていませんでした。

クリスマスは何月何日だったの?

1月6日の説

二世紀半ば頃から四世紀にかけて、
キリスト教の分派である
バシレイデス派という人々が

エジプトのアレクサンドリアにいました。
(アレクサンドリアは現在カイロに次ぐ
2番目の都市です)

当時、正当なキリスト教会から外れていた
グノーシス主義という流れを汲むバシレイデス派は

『イエスは人間だったけれども、
洗礼を受けたことで神となった』と考え、
彼らは独自に1月6日又は10日を
イエスの洗礼記念日として祝っていました。

もともとエジプトでは1月6日は
冥界の神であるオシリス神のお祭りが
祝われていたのですが、

バシレイデス派はイエスのほうが
本当の神であると主張するために
あえてオシリス神の祝日に
イエスの洗礼日を被らせたようです。

後にこの習慣が東方正教会に伝わり、
『イエスは洗礼によって神になったわけでなく、
生まれた時から神であった』という

正統派の神学が取り入れられ、
1月6日はイエスの洗礼と誕生を祝う日
とされたのです。

12月25日の説

今ではおなじみの12月25日の説は
ローマから広まっていきました。

この日も、もともとは当時の
ローマに普及していたミトラ教という
宗教の祭日でした。

光明神をまつるゾロアスター教という宗教からの
派生だったミトラ教は、
太陽神ミトラを崇拝していて、

ミトラ教がローマに普及された直後から
太陽の光の勢いが1番小さくなる冬至、
つまり12月25日をこの日から太陽が

力を取り戻し始める『不滅の太陽の誕生日』
として祝ってきたのです。

当時ミトラ教が最大のライバルだった
キリスト教は旧約聖書の『マラキ書』で
12月25日には真の『義の太陽』である
イエスの誕生を祝うべきである としたのでした。

そしてミトラ教が徹夜で『不滅の太陽の誕生日』を
祝うのに対して、
徹夜でミサをするようになったのです。

そして325年、トルコのニケーアで開かれた
ニケーア公会議という教会会議で、
クリスマスが正式に12月25日と定められたのです。

クリスマスが12月25日になるまでには
色々な紆余曲折がありました。

他にもイエスが生まれたとされる日にちも
記録にはありますが、
どれも明記はされていないようです。

分からないと余計に気になってしまいますね。

そして現代のクリスマスへ

クリスマスがニケーア公会議で
12月25日に決定された後、
どのようにして今のようなお祭りになったのでしょうか。

それには様々な伝統を受け継いできた過去があるのです。

サトゥルヌスのお祭り、サトゥルナリア祭

1月6日のオシリス神のお祭りと12月25日の
『不滅の太陽の誕生日』に対抗するように
これらの日はキリスト教にとっても重要な日となりました。

そしてもう一つ、キリスト教にとって
大きな影響を与えたお祭りが
ローマ帝国にありました。

12月17日から24日にかけて、
農耕の神であるサトゥルヌスの祭りである
サトゥルナリア祭が祝われていたのです。

この時期ばかりは仕事を休み、
大いに飲み食いし、
親しい間柄の人々はプレゼントを
贈り合ったといいます。

それが今日までのクリスマスを大いにお祝いする風習や
プレゼント交換、ごちそうを食べる習慣に
受け継がれていると言われています。

ユール

サトゥルナリア祭が比較的温暖な気候の
地中海沿岸で行われていた一方で
ローマ帝国の北に位置する中部ヨーロッパあたりでは
ユールという別の冬至のお祭りが行われていました。

北海道より北にあたるドイツやイギリスなどに住む人々は
一年の半分近くを想像を絶する厳しい寒さに
耐えて過ごさなければいけませんでした。

キリスト教をまだ知らなかった頃の
ヨーロッパの人々は一日の大半が長い夜に包まれる
冬至前後には、色々な悪霊がうろつく、
恐ろしい期間と考えていたのです。

そこで悪霊たちをなだめるための祭りである
ユールが生まれたのでした。

ユールは12月の十日間~十二日の間に
人々のとっておきの保存食を分け合い、
乾杯し、豊穣の神にブタを捧げたのでした。

今でも北欧ではクリスマスのことを
ユールと呼んでいます。

このようにクリスマスの時期は
冬至のお祭りが各地で開催されており、
たくさんの食べ物や飲み物を用意して
神様に捧げたり、みんなで分けあって
どんちゃん騒ぎをしていたのです。

それが現在のクリスマスのお祭りに
受け継がれていきました。

歴史的にはその後クリスマスのお祭り騒ぎに
宗教改革という形で歯止めをかけようとした
マルティン・ルターが現れたりしたのですが、

クリスマスが普及した人々の
お祭り気分を止めることは難しかったようです。

まとめ

クリスマスが誕生したのは様々な国や地域、
他の宗教にとって重要なお祭りの日や、
お祝いをする日に対抗して、

キリスト教にとって重要な日として
選ばれてきましたが
最終的にはニケーア公会議で
クリスマスは12月25日と決定されたのです。

その後現代の様なお祭りになったのは
ローマ帝国で祝われていた冬至のお祭りで
どんちゃん騒ぎをしていたことに由来するものでした。

クリスマスのお祭り騒ぎを嘆く人々もいるのでしょうが、
ちゃんとした歴史的背景が存在するのです。

クリスマス時期になるとウキウキするのは
そのせいかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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